ArscasAオーナー 佐藤大地のプロフィール

はじめまして!

「ヘアスタイルを似合わせる」を日々研究し、3パターンは提案するArscasAオーナー美容師、佐藤大地です!

この記事では、僕が美容師をめざしたきっかけや、どのような流れを経てArscasAを開くことになったのかまでお伝えしていきます。

ぜひ最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

目次

僕が美容師になったきっかけは高校時代の姉の彼

僕こと佐藤大地は山梨県出身、1980年9月1日生まれ、1998年に上京して以来一人暮らしです。

幼少期はサッカー、水泳、たまに美術好き。

勉強はまるでダメした。(ダメというかやらない。汗)

親族や周りにも美容関係者すらいない環境で、自分の髪は床屋だったし、親に行けって言われないと行かなかったくらいです。

転機は17歳の頃。

姉の彼が美容師だったので、よく髪をやりに遊びに行くようになりました。

そこで見る華やかな世界観が好きで毎回ワクワクしていたのをよく覚えています。

思えばこの姉の彼が私の美容師を志すきっかけになったのだと思います。

それを真似て友達の髪を切るようになり、この頃から「髪を切って喜んでもらえる」事が楽しく感じていたんですよね。

だんだん慣れてくると友達に「髪切ってあげるから、俺の宿題やってよ」とか言って無謀な取引してました。笑

美容学校時代はダメダメ生徒

僕が通っていた高校は進学校で、大学に行く人がほとんどの中、美容師になりたくて念願で東京の専門学校に入学。

周りに美容師を目指す人がいなかったので、特別感を自分で持っていました。

当時はカリスマ美容師ブームで有名美容学校の倍率は何十倍という時代。

昼間部を受けましたがあえなく不合格・・・。

流れで夜間部に進むんですが、毎日夜6時から9時の3時間しか学校行かない日々でした。

9時から友達と遊びに行くのが本当に楽しくって!

もちろん帰りが朝7時とかでそれから寝て学校行く前の夕方5時あたりに起きる生活。

普通美容室とかで働いたり、バイトしたりして夜だけ学校通うから時間効率は良かったと言えば良かったんですが・・・本当甘えた、ふざけたやつですね。

そんな生活をしつつすべて両親に生活費ももらって生きてました。今でも感謝しかありません。

専門学校卒業しても就職先決まってない!?

なんとか美容師免許も取得して卒業にこぎつけたのですが、ろくに就活もせず卒業してしまい・・・。

我ながら危機感がなかったと思います。

ただ、言い訳をすると美容師業界の厳しい部分も見てきてしまっていて悶々としてしまっていました。

しばらくフラフラしていましたがやっぱり美容師しかないと決意し、20歳の年の5月に地域密着型サロンに就職!

その当時のサロンの社長さんに面接していただいたのですが、ほぼ3分くらいで終わり、すぐ働け!みたいな勢いで僕の美容師人生がいきなりスタートします。

予想以上にお客様の反応が嬉しかった!

2000年5月に美容室入社。

普通の美容学生より2ヶ月遅れてついに美容師人生が始まりました。

シャンプーやマッサージを先輩方々から習い、朝夜練習し、合格頂いてお客様に直接触れるように。

お客様にさせていただくようになってからは喜ばれるのが楽しくて、美容学校学生の頃と比べると一気に楽しくなりましたね。

「シャンプー気持ちよかったー!」

「頭が軽くなった!」

「肩のマッサージ延長してもらおうかな!?」

「そこらへんのマッサージ師よりあなたの方がうまいんじゃない?」

と、たくさんの嬉しいお言葉を頂きまして。

もちろん、ご指摘も頂きましたがそれは素直に改善すればさらに喜んで頂けることも分かってきて、より楽しさを覚えましたね。

思い返してみると、この頃から

「人の役にたって喜んでもらう」

が仕事なのかなと考えるようになったのかなと思います。

思いもよらず「経営を学ぶ」

サロンワークではお客様に施せる技術も増えていき、順調でした。

技術と接客を学べは、一人前の美容師になれると思っていたのです。

しかし当時社長だった方はまだ入ってまもない僕に経営とは?って事をひたすら教えてくれました。

  • 人としてどうか?や人間性の考え方
  • 運がつく人はどんな人か
  • 周りから応援される人間なれ

20歳そこそこの僕にはまだよくわらりませんでしたがね。言われるがままに行動してました。

それでも行動して続けると結果が出ます。

そこでやっと学ぶのかなと。

自分の思いとは裏腹に役職もたくさん頂きました。

  • アシスタント長
  • 主任
  • リーダー
  • 店長
  • マネージャー
  • エグゼクティブデレクター
  • オーナー

などよくわからない名前もありますがたくさん経験しました。

でも毎日必死で生きていたってのが本音です。

入社して3年位の間に同期30人いたのですが、少しづつ辞めていき、結果的にはほとんどいなくなってしまいました。

4年目にはゼロ。

でも僕は先輩、上司から理不尽な事言われたりとかありましたがとにかくお客様と接しているのが楽しいし、やめようなんて考えはなかったんです。

なんだかんだで先輩や周りの人たちにも恵まれて長く続けられたから、担当するお客様も増えてきて仕事も楽しくなって…という好循環でしたね。

技術に関してはいろんな先輩がいたから、それぞれのやり方やいいところ完全コピーしていました。

結果的に学ぶではなく「真似ぶ」を自発的にしていたのですが、今でもこれは1番早い上達方だと思います。

こうやって周りの優れた先輩方の技術や接客術を取り入れ、お客様へ還元していくように励んでいました。

お客様ファーストの精神は、この頃の先輩方に教えていただいたのだと思います。

これも感謝しかありませんね。

21歳でスタイリストデビュー!

21歳と比較的早くにスタイリストとしてデビューすることになったのですが、当時はとにかく必死。

余裕が全然なかったです。

当時は新規のお客様も多く、お客様のことをあまり知らないことのほうが多かったです。

髪を切りすぎてしまって、泣かしてしまったことも2回ありました・・・。

本当に僕のデビュー当時のお客様、モデルさんの方達にご迷惑をおかけしましたが、今は感謝でいっぱいです!

2年目くらいからは徐々に指名のお客様も増えていき、担当するお客様はほぼすべて指名。

毎月250人くらいの指名は頂いていたと思います。

同時に何人も担当するからこそ、工夫したり、早くしたり、順番かえてみたり。

スタッフに教える立場になってきましたが、同時にもっと自分の技術も深めていって、もっとお客様に喜んでいただきたいという気持ちも大きくなってきました。

外部へ学びに行く日々が今の財産

この頃の会社には先輩達もいなくなって来ていたので外部に行くしかない!

最初は3時間¥5000のカラーの講習、¥8000のカット講習、¥20000の講習など。

いけば行くほどおもしろくなり半年コース¥35万、1年¥120万なんかも行き始めてました。

講習の課題や宿題の量が半端なくて夜中、朝方までウィッグを切ったり、ノートにメモしたり。

いまでもそのファイルは財産として教育にいかされてます。

無駄遣いも少しありましたが、おそらく30代まででトータル700万くらいは学びに費やしてます。

シンプルに給料が足りなかったですね。笑

でも自分が成長できてる実感があったり、お客様からすぐ感動が返ってくるから楽しく学べました。

そんな中、技術以外のリーダー研修や人間力アップの講習もたくさん行きましたが、これは理解はできるものの違和感があって苦手でしたね・・・。

ただ、自分に合わない講座でも、自分では気づけ無いことに気づけたこと、得手不得手があることに気づけたことが収穫として大きかったです。

これをきっかけに不得意な事に時間を費やすのはやめました。

得意なことに集中した結果、ひとりひとりと向き合うサロンに

僕は20代の頃からArscasAを始める前のサロンを離れるまで、スタッフの教育にも20年以上携わってきました。

スタッフに教えるということは、お客様とはまた違う反応が返ってきてやりがいもあったのですが、教育に力を入れればお客様との時間が減ってしまうというジレンマにも悩まされ続けていました。

そして「得意なことに集中する」を意識しつづけるうちに「教育から離れてお客様としっかり向き合える環境を自分でつくりたい」という思いが強くなっていったのです。

サロンに勤めている間は、お客様ももちろん大切ですが、会社としての利益やスタッフのことも考えないといけません。

そんな環境の中、シンプルに考えることに限界を感じて、自分ひとりだけのサロンの営業に踏み切りました。

ArscasAの由来には「芸術、美術、手技、技術としての腕」という意味と、家という意味が込められています。

職人のように、芸術の域に達するような技術やホスピタリティ。

これらを大規模サロンで追求することに限界がありますが、ArscasAは僕のサロンなので、好きなだけ追求できますし、思う存分目の前のお客様に全集中できます。

佐藤大地の理想の接客を体現し、今までの技術を余すことなく活かす集大成がこのArscasAです。

ぜひ、末永くじっくりお付き合いいただけると幸いです。

ArscasAのドアを開いたことを、決して後悔はさせないとお約束します。

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